「大塚駅」の周辺の住宅表示を見ると「南大塚○丁目」「北大塚○丁目」という表示しかありません。「大塚○丁目」という表示は、豊島区ではなく文京区にあります。推測すると、「大塚」という地名は現在の大塚駅周辺のことを指していなかったのではないでしょうか。昔の地図を見て調べてみましょう!!
●東京の「区」の推移
大正7年頃/大塚駅周辺は巣鴨町・西巣鴨町付近にあると思われます。
●東京の「区」の推移
昭和7年頃/豊島区ができ大塚駅周辺は豊島区になります。
●東京の「区」の推移
昭和23年頃/現在の区分布が完成されました。
次に、もっと詳細な江戸時代からの地図で見てみましょう。現在の大塚駅周辺の地名には「巣鴨村」とあります。つましこの辺一帯は「巣鴨村」だったのです。実は天祖神社はこの「巣鴨村」の鎮守様だったのです。
明治時代「大塚駅」が設置されますが、住居表示にはまだ大塚という名前は出てきません。小石川区(現在の文京区)の「大塚」の地名がこの地図を見ると「大塚辻堂」「大塚坂下町」等入っているのがわかります。
昭和7年、豊島区が誕生しましたが、大塚駅周辺の住居表示は西巣鴨・巣鴨という表示で、大塚という文字の入った地名は明治時代と変わらず小石川区(現文京区)にあります。
戦後、昭和44年、住居表示変更が行われ線路を挟んで大塚駅の両側が「北大塚」「南大塚」と表示されるようになります。小石川区(現文京区)にあった大塚辻堂付近が現在の新大塚になります。つまりつい30年ほど前まで、「大塚」は大塚駅周辺のことではなく、現文京区の「大塚」付近のことを言い、大塚駅ができた明治時代以降、大塚駅周辺を大塚と総称していたと思われます。その以前江戸時代は、大塚駅周辺は「巣鴨村」の鎮守様「天祖神社」がある地域だったと思われます。巣鴨と大塚はもともと「巣鴨村」から始まった繋がりに深い町だったのですね。
参考文献:仰高西尋常小学校同窓会発行 「わが街大塚・巣鴨、わが母校 仰高西」
おまけ:商店街の方よりご提供いただいた戦前のものと思われる豊島区の住居表示地図