「大塚三業地」の最盛期は昭和初年とも戦後の昭和30年代とも言われますが、1965(昭40)年頃でも、待合50軒、芸妓400人を数えたそうです。花街の文化は小唄や舞踊、落語や浪曲など伝統的な芸能を育みました。今でも三業通り商店街の界隈にはその面影が垣間みられます。人間国宝の柳家小さんや桂米朝、落語協会会長の桂文治なども大塚三業地にゆかりの深い噺家です。浪曲界の大スター二代目広沢虎造はこの街に住んでいました。歌舞伎女形の人間国宝 坂東玉三郎丈もこの街の料亭のご出身です。
花柳界は仕出し料理だけでなく、寿司、うなぎ天ぷら、洋食まで、多様なグルメ文化を生みました。今も大塚に粋で美味しい個人経営のお店が多いのは、まさに花街文化の名残なのです。
1937(昭和12)年、白木屋デパートが出店します。地上6階の堂々たる百貨店建築で、階上の食堂はデザートのアイスクリームが東京一と評判だったそうです。戦禍を受けましたがこの建物は戦後も四谷大塚進学教室などに活用され、平成末年までオフィスビルとして大塚のシンボルでした。
王子電車は戦時中に市電に組み込まれましたが路面電車とは線路がつながることはありませんでした。今の南大塚都営住宅(南大塚ホール)は路面電車の大きな大塚車庫でしたが、今の荒川線を残して1971 (昭和46)年に廃止されました。路面電車廃止の翌年、線路のはずされた道路を会場に「東京大塚阿波おどり」が始まりました。
(みんなのトランパル大塚事務局:城所信英)