• 2022年10月3日 10:41 AM

南大塚六商店会

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鉄路が街を繫栄させた

 1903(明治36)年、大塚駅が開業。以後、急速に駅の南側(都心側)の市街地化が進みます。火煙を噴く蒸気機関車の時代、鉄道も密集市街地には敷設することはできません。土地が必要な近代化装置です。1911(明治44)年、王子電気軌道 大塚駅~飛鳥山上が開業(現在の都電荒川線の始まり)。江戸期より変わらぬ人気の名勝地は「飛鳥山」。四季を通じて楽しめる一級行楽地です。「明日は飛鳥山へ行こう」などと旦那が言ったら、もう婦女子たちは大喜び。今で言えばさしずめディズニーリゾートのような感じでしょう。 当時、まだ池袋には東上線も西武線も入っていません。東京でもかなり早い時期の郊外電車開通です。
 1913(大正2)年、路面電車の東京市電が都心方面から大塚駅まで延伸してきます。これはのちの都電16番系統、現在では錦糸町と結ぶバス路線の原型です。この時点で駅前まで市電が通じていたのは新橋、品川、上野、渋谷と大塚の5駅だけです。王子電車と合わせて東京北部の交通の要衝になりつつあったのです。
 交通の進展とともに大塚駅界隈は娯楽・歓楽街として賑やかさが増していきます。城北地域で最初の映画館「小山館」をはじめ、大正時代中期には映画館が5館もあったそうです。当時の遊興の中心は「三業地」と呼ばれる花街。待合(場所)、仕出屋(料理)、芸妓置屋(人)の三業種から成る公認の組合を組織しています。谷端川沿いに広がった「大塚三業地」は早くから発展し、東京でも有数の歓楽街となっていきます。

(みんなのトランパル大塚事務局:城所信英)