• 2022年9月25日 2:53 PM

南大塚六商店会

MINAMI OTSUKA SHOPPING MALL NETWORK

近代化する東京の「影」を支えた街

 文明開化に富国強兵、近代化する帝都東京のいちばん近い郊外地として、畑や林の広がる空間、つまりここには土地があったのです。様々な「近代化装置」がやってきました。1895(明治28)年、「巣鴨監獄」が置かれます。今のサンシャインシティやイケ・サンパーク、朋有小学校なども含む広大な敷地を持ち、不平等条約に悩む明治政府が近代的法治国家としての誇りをかけて設けた、当時世界一と言われた巨大な近代的刑務所です。昭和初期に60%の面積に縮小、のちに「スガモプリズン」と呼ばれ、A級戦犯処刑など歴史の舞台ともなった「東京拘置所」は、1978(昭和53)年、現在のサンシャインシティとなりました。
 また、文明開化で市中の富裕層には牛乳を飲むという習慣も始まりました。その牛乳を供給したのは、巣鴨村に数十か所あったという牧場です。朝搾りの新鮮な牛乳を数時間のうちに消費地に届けることができる地の利でした。近代化と都市化は失業者や浮浪児なども増やします。渋沢栄一らの尽力で、困窮者や身寄りの無い弱者の収容施設「東京養育院」もこの地に置かれました。日本初の社会福祉事業施設と言われています。現在、大塚病院や文京区との境にある「大塚公園」の一帯がその跡地です。ここは幕藩時代は磐城国 平藩 安藤家の江戸下屋敷でした。
 キリスト教的博愛主義など新しい思想の広まりとともに、多くの社会福祉事業施設や学校なども展開していきます。女子教育の明治女学校、知的障碍児の滝乃川学園、少年更生の巣鴨家庭学校、精神科の巣鴨脳病院、ろうあ婦人の西窓学園などなど。田村直臣牧師の巣鴨教会に併設された、孤児の自立支援施設「巣鴨自営館」からは、のちに西洋音楽の第一人者となる山田耕筰も巣立ちました。今も教会敷地内の「からたちの碑」が往時を偲びます。
 日清・日露戦争で手足を失い、光を失った傷痍軍人達の収容施設「廃兵院」が1908(明治41)年、現在の北大塚1丁目に置かれました。近代化に光と影があるとすれば、この街は「影」を引き受けた地でした。様々な弱者をやさしく受け入れてきた街だったのです。

(みんなのトランパル大塚事務局:城所信英)